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甘くて苦い、お前への。それが…
2008-10-24
ファイル、シャー芯、あとは消しゴム。
必要な文具を手に取って、レジに持って行って購入して。
さあ帰るかと店を出て、駅前の歩道橋を渡っていると。
ゾクン、と鳥肌が立った。
流れる水のような旋律。
ただ者ではない上手さ。
安いものでは決して出せないような、艶と深さのある響き。
そして、几帳面で忠実で、それでいて枠に収まることのない強い存在感。
引きつけられる。
表現力、技術力。どれを取っても間違う筈がない。
心の臓が大きくドクンと鳴った。
「……月森。」
姿を見ずにいても、周りがどんなに騒がしくても。俺はあいつの音だとわかった。
確信している自分がいる。
…こんなところで練習してるとはな…
不意に口元が緩んだ。
雄大なメロディーを奏でるヴァイオリンに誘われて、俺は近くで演奏に浸りたい、と思った。
歩道橋の下の方から聞こえてくるから、多分下で演奏してるんだろう。
壮大な広がりを見せる演奏に吸い寄せられるように、俺は下へと続く階段を降り始めた。
…モルダウか…。俺も次の合わせまでには、もう少し掘り下げておきたいよな…
コンサートで月森達と合わせる曲に、モルダウも入っている。
…楽器があったら、一緒に練習できたんだけどな。
そう思っていると、風か鳥の声のような、軽やかな木管のオブリガードが聞こえて、俺は降りようとしていた足を止めた。
「な…!?」
柔らかい、それでいて煌びやかで華やかな、品のある音色。
明らかに金のフルートの音だ。
「…柚木、先輩…!?」
駅前の、こんな人気の多い場所で月森が練習してること事態驚いたが、柚木先輩まで合わせてるっていうのか。
階段を降りかけたまま停止した俺は、そのまましばらく硬直していた。
…どうする、聴きに行くか…?
あの二人の演奏だし、現在俺も練習中の曲だ。聴けば参考になるだろう。
楽器が無くても、聴くだけでイメージトレーニングになる。
けれど。
しっとりと広がりをもって、民族的な祖国の歌を歌うヴァイオリンに、更に芸術的な風景、色を付けるフルート。
二人ともレベルが高い上に、表現が似ているところもあり、音がよく合っている。
ぎり、と無意識に俺は奥歯を噛み締めていた。
…悔しい、のか…?
…俺は。
ピアノが今すぐに合わせられない、持ち運べない楽器だからか?
月森と合わせてるのが柚木先輩だから?
…違う。
柚木先輩だからじゃない。
…俺、じゃないからだ。
月森の隣にいるのが。
息を合わせて世界を創っていくのが。
…イライラする。
普段結構好きな方の曲なのに。
お前と2人きりで合わせているのが、俺じゃないというだけで。
柚木先輩とは偶然合ったんだろう。
…あの2人が約束して練習、…は無い。絶対無い筈だ。
階段を中途半端に降り始めたまま止まっていた俺は、一つ溜め息を吐き出して後ろを向いた。
曲は展開し、フィナーレの華やかな部分になっている。
…低音が無いから安定感や広がりが足りないな。
…せめて、キーボードでもあれば、下を支えてやれるのに。
降りていた一段を上がって、後ろ髪を引かれる思いで橋の下を眺める。
…お前に会いたいが、柚木先輩がいるんじゃな…
今の俺では何を言い出すかわからない。
「…男の嫉妬は見苦しいな、…。」
俺は苦い痛みを噛み締めるように笑い、家に帰る方向に歩道橋を歩き出した。
橋を渡っている途中で曲が終わる。
一瞬俺は足を止め、またゆっくりと歩き始めた。
